第100回ごはん会
3・11から約一か月後、拙店で、チャリティごはん会をはじめました。というのは、テレビ画面で報道される未曾有の原発事故や津波の画像が、あまりにも悲惨で、事故直後から、わたしは食事がのどを通らなくなってしまったのです。これから被災地を義援しなくてはならないのに、自分たちがこんなに憔悴していたのでは、共倒れになる、せめて遠方に住む者だけでも元気になろう、ちゃんとご飯を食べよう、できれば大勢で食事をすれば、少しは元気になれるのではないか? というのが、そもそもの発端でした。つまり、まずは自分たちの、人としての復興のために、はじめたのです。
それで、隣村の慧光寺さんにお声掛けして、第一回ごはん会を4人で行い、東北各県の避難場所(当時は、主に体育館)が不要になるまでをモットーに、義援金500円、オカズ一品もちよりを、ただひとつの参加ルールにしました。が、まさか100回を迎えるまでつづけるとは、思いもしませんでした。ということは、被災地の復興は未だならず、さらに日本各地で災害が後を絶たず、これでもう義援は不要、ということがほぼなくなったからです。今の日本、わたしたちとて、いつ被災者側になるかわかりません。
年間約5万円から6万円のちりも積もった義援金は、顔の見える被災者グループ、放射能データ改ざんや政治的な反対にあいながらも、ほんとうのガン検査を行おうとしている福島県の医師たち、熊本地震の復興支援グループ、遺児たちの教育支援グループに送金していて、相互の交流もできつつあります。
ですから、100回記念といっても、決して華々しい雰囲気ではないので、ひとつの大事な通過点と認識し、慧光寺ご住職が、『三陸海岸津波浄土』と題した、某臨床宗教師の講演記録を輪読提案されました。
宗教や宗派を超えて数百の遺体を見送った僧侶、牧師たちの当時の生々しい記録が、参加者12名の声を通して再現され、ごはん会の意味がひとりひとりの胸に刻まれた晩でもありました。
次回、第101回は8月25日(日)午後6時からですので、どなたでもご参加お申し込みください。
りすママ
それで、隣村の慧光寺さんにお声掛けして、第一回ごはん会を4人で行い、東北各県の避難場所(当時は、主に体育館)が不要になるまでをモットーに、義援金500円、オカズ一品もちよりを、ただひとつの参加ルールにしました。が、まさか100回を迎えるまでつづけるとは、思いもしませんでした。ということは、被災地の復興は未だならず、さらに日本各地で災害が後を絶たず、これでもう義援は不要、ということがほぼなくなったからです。今の日本、わたしたちとて、いつ被災者側になるかわかりません。
年間約5万円から6万円のちりも積もった義援金は、顔の見える被災者グループ、放射能データ改ざんや政治的な反対にあいながらも、ほんとうのガン検査を行おうとしている福島県の医師たち、熊本地震の復興支援グループ、遺児たちの教育支援グループに送金していて、相互の交流もできつつあります。
ですから、100回記念といっても、決して華々しい雰囲気ではないので、ひとつの大事な通過点と認識し、慧光寺ご住職が、『三陸海岸津波浄土』と題した、某臨床宗教師の講演記録を輪読提案されました。
宗教や宗派を超えて数百の遺体を見送った僧侶、牧師たちの当時の生々しい記録が、参加者12名の声を通して再現され、ごはん会の意味がひとりひとりの胸に刻まれた晩でもありました。
次回、第101回は8月25日(日)午後6時からですので、どなたでもご参加お申し込みください。
りすママ
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