自分にとって〈旅〉とはなにか?

 毎冬、10日前後の旅をしてリフレッシュしますが、あらためて旅とはなにかと考えますと、芭蕉のいう、「月日は百代の過客なり」という大きなくくりとは異なる定義がうかびます。つまり、旅先で、目にしたり耳にするものは、自分にとってあきらかに非日常のものたちです。ところが、自分が初めて目にする川や滝、久々に訪れる神社や仏閣、歩く路地や出会う人々の営みは、現場にとっては日常そのもので、おそらく日々繰り返されている風景であり、ふつうの日課なのでしょう。
 角田光代という若い作家さんが、ある雑誌のコラムで、長距離列車に手をふる子どもたちは、知らず知らずのうちに、自分たちの日常から、旅人の非日常に向かって、羨望をこめて手をふっていると分析描写していましたが、そのとおりだと思ったことがあります。
 わたしたちは2011年と2013年に、中央アジアのサマルカンドからブハラに向かう同じ路線の鉄道に乗車したのですが、その汽車はほぼ3時間ずっと、草原を駆け抜けます。かつてのコルホーズのなごりであろう、区画された綿花や牧畜をなりわいとする集落の脇を通るのですが、かならずといっていいほど、幼い子どもたちや老人たちが、線路脇に立って手をふってくれるのです。中には、汽車を横目で見ながら、地平線を背にしていっしょに走ってくれる少年もいます。寒々とした農村を駆け抜ける、日に数回の汽車の通過時間が、彼らの日常にくみこまれているのを、わたしは熱い思いをもって知ったのです。集落には、繋がれた家畜や風になびく洗濯物、汽車には目もくれずに腰をかがめてたち働く婦人たちの姿も見えます。そして、わたしも、ほこりにまみれた車窓から、子どもたちや老人に手をふってみる、これもまた一期一会の味のひとつとなりました。
 自分の非日常と現地の日常の接点を感じるのが旅なのかもしれない、冬の紀伊半島からもどって早一ヶ月、予想以上にリフレッシュした自分の日常がありがたく感じられます。

                           りすママ
 
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